弦楽器を製作しているはずです。 

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小林かいち #3

続いている。

かいちはなぜ同年代の作家よりも知名度が低かったのか。
そう、ここは過去形で正解。

2004年、「ボストン美術館所蔵 美しき日本の絵葉書展」でかいちの作品が展示された。
その美しいデザインは一躍脚光を浴び、以後立て続けに作品の紹介が始まるが、
かいちの性別・生没年・正確な作品点数・私生活などは不明で、「謎の叙情版画家」「謎の画家」と称された。

そう、2004年時点でようやく注目されたものの、その時にはすでに「小林かいち」という人物の情報は全て、性別でさえも忘れ去られていたのだ。

そういった謎の人物像が明らかになるのは、4年後の2008年。
遺族(かいちの次男)が名乗り出て、経歴が明らかになる。
以下、Wikipedia丸コピ。



かいちの次男は「小林かいち」と父である「小林嘉一郎」が同一人物であるとは知らず、かいちの展覧会が京都精華大学で開かれているのを、知人を通じて知り、同姓同名の「小林嘉一」の名で仕事をしていた父の遺品を調べた結果、父が制作した木版画のサインが、かいちの絵封筒に書かれているサインと一致した。
次男は「父と一緒に遊んだ記憶はほとんどないが、夜中に、机に向かって御所車などの模様を描いていたのを覚えている。あの父が謎の画家のかいちだったとは本当に驚きました」と話している。



というわけで、ようやく判明したかいちの経歴は次の通り。

1896年、京都に生まれる。
元々は京都で着物の図案家として細々と生計を立てていたかいち。
大正後期から昭和初期にかけて、京都京極三条の土産物店「さくら井屋」を版元に絵葉書と絵封筒のデザインを手がけたことから、女性客を中心に模倣品が出回るほどの人気が出る。
しかし、昭和初期以降、かいちの存在は時代と共に少しずつ忘れ去られていく。
かいち自身は友禅の図案家として生計を立て、そのまま1968年に亡くなっている。
ここでかいちの作品は一度、表舞台から姿を消す事になる。

かいちが没してから36年後の2004年、冒頭の話に戻るわけだ。

近年は謎の版画家として、ミステリアスな魅力で人気があった小林かいち。
まあ、謎の人物なんて言っても、正体が分かってみればどうってことない普通の人だったりするもんだ。
しかし作品を見る限り、ほとんどの人が「かいちは女性」だと思ったのではなかろうか。
勝手な想像ですけれどね。

じゃ、もう一回だけ引っ張って、最後にかいちの絵葉書だけ紹介しておく。
続け。

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2012.05.20 05:47
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